2008年6月22日 (日)

星野仙一という男

「星野仙一オリンピック代表監督がとある会社の役員をひっそりと退任していた」。先週はこんなネタを追求しました。
「夢・星野スポーツ塾」というプロジェクトがあります。スポーツを通して子どもたちの育成にかかわるという事業で、山本浩二、田淵幸一といった星野組の面々やサッカーの奥寺康彦、バレーの大林素子などの大物を擁し、コーチ派遣事業や様々なイベントをおこなっています。
その運営会社が年末に大阪ドームで行われたイベントの代金を支払わず、未払いで訴えられてしまっていたのでした。星野氏はその会社の設立当初からの役員であるとともに、大口出資者でもあります。

星野氏を深く知る人にあたってみると、長らく上司にしたい人ナンバーワンに君臨する「燃える男」とは違った側面が見えてきました。
彼はなによりも政治的に動く人間です。時の権力者に対する身のこなしが抜群に上手い。驚くほど上昇志向の強いタイプなのです。星野氏のことを悪し様に言う方はいませんでしたが、その変わり身の速さに驚いたという人は数多くいました。

今回の報道に追随するマスコミはおそらくないでしょう。とりわけ関西のスポーツ紙にとって星野仙一はアンタッチャブルな存在。なぜって? 持ちつ持たれつだからです。
代表監督のあとに仙ちゃんの狙うものは一体何なのでしょう? 勲章でしょうか? それとも国会議員?

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2008年6月17日 (火)

魔法の水着「LZR RACER」

Photo 日本水泳界を大混乱に陥れた英国スピード社製の水着レーザーレーサー(以下LR)。その実物はほとんど日本にないうえ、輸入元のゴールドウィン、水泳連盟のガードがともに厳しく、どのマスコミも現物レポートができないでいました。僕の所属する週刊誌も水着ゲットに四苦八苦。もう無理かと思いながら最後に電話した静岡のスイミングプロショップで試着許可が下りたため、先週の木曜日、急きょ撮影班とモデルを手配し喜び勇んで新幹線に飛び乗りました。

到着したモデルを一目見たショップの方は「ちょっと無理かもしれませんね」と困惑顔。LRはとにかく小さく、中高生くらいがちょうどなのだそうです。アシスタントやショップの方にも手伝ってもらい、十五分がかりでようやく着用することが出来ました。

いったいLRのどこに高速レコードをたたき出す秘密が隠されているのでしょう? さわってみたところ、足先やつなぎに使用されている黒い部分は極薄で紙のような感触。グレーの部分は繊維というよりゴムかポリウレタンのような素材で、どちらもまったく伸縮しません。ちなみに北島康介選手が北京五輪で着用する予定だったミズノ社製の「ウオータージーン」は普通に伸び縮みしました。
LRファスナー付きロングサイズの定価は6万9千500円。ショップの方の見立てでは「5~6回着ればダメになっちゃうかも」とのことで、縫い目のまったく無い分、非常に破れやすいそうです。

今回の企画はモデルの女の子にLRを着せてみるという軽いものだったので、記事には書かなかったのですが、今回の水着開発には非常にドロドロとした背景があるということでした。
国際水泳連盟(FINA)には「生地の表面に明らかな加工をしてはいけない」「浮力をつけてはいけない」という水着に関するルールがあります。そしてLRには浮力を増加させている可能性があるというのです。
筑波大学のある専門家は、「もし日本のメーカーがこの水着を商品化してもFINAの承認を得られなかっただろう」と断言しました。またデサントの広報に取材したところ、「わが社としても、こういったコンセプトは持っていたが、実現できるとは思っていなかった」と語っています。この水着による世界新記録連発の背景にFINAの不可解なルール変更があったということは、まだ報道されていません。

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2007年8月16日 (木)

万博記念競技場発、首位決戦!

Photo お盆のまっ最中、決戦の場所「万博記念競技場」へ子供ともども行って参りました。わが娘は幼稚園児の頃より男子に混じって「ガンバ大阪ジュニア」に参加していた熱血「ガンバっ子」。彼女の机の上には家長選手とのツーショットが飾られています。

とにかく凄い人出で試合開始三時間前にはスタンドの回りに長蛇の列。もちろん青と黒のガンバサポーターでいっぱいです。思い起こせば1993年Jリーグ開幕戦を見に行って以来、Jリーグのお荷物と呼ばれ、川淵Jリーグチェアマンに「ガンバは消えてなくなれ」とまで罵倒された時代を思い起こし、本当に人気クラブになったものだと実感しました。稲本や宮本、大黒といった飛び抜けた人気選手はいなくなったので、サポーターの背番号も遠藤、加地、家長、橋本、二川、播戸と様々。そう言えばガンバは今や日本代表の供給基地となっています。Jリーグで唯一代表選手の出ていないチームだったとは信じられません。

さて迎え撃つのは憎っくき天敵「浦和レッズ」。勝ち点四点差で首位に立つ我らが「ガンバ大阪」は奴らを奈落の底へ突き落としたいところ。ゴール裏のA席に陣取ると、正面にいるんです、赤いヤツらが。わざわざ大阪までやって来ているのだろうか。それとも関西在住の埼玉県人なのだろうか。とにかく試合開始二時間前からすでに踊り狂っている赤い軍団に負けじと、こちら側も応援歌を連呼。猛暑も手伝って始まる前に少しバテてきました。

七時キックオフ。前半は一進一退の息詰まる攻防でした。浦和は長谷部とポンテの出来が素晴らしく、特に左サイドを使って攻撃を仕掛けてくるため、加地がなかなかオーバーラップ出来ません。加えて闘莉王が上がってくると決定的なチャンスに結びつきます。危ないシーンもありました。逆にガンバの方もカウンターで惜しいシュートを何本も放ったのですが、元ガンバの都築による好セーブでことごとく阻まれます。

後半は攻め込まれる時間帯が続きました。A席で見ている限り、試合中はずっと、
「アーレー フォルツァガンバ フォルツァガンバ フォルツァネロブル」
と歌い続けなくてはなりません。頭上からは定期的に水が降ってきますし、叩き続けた手も痛くなり、暑さも相まって頭がボーとなってきていた六十二分、悪夢の瞬間がやってきました。久しぶりの先発出場だった永井に痛恨のシュートを決められてしまったのです。ラストパスはやはりポンテ。彼一人にやられたような感じです。先制した後の浦和のディフェンスはとにかく堅かった~。闘莉王も阿部も坪井もまったく上がらずまさに鉄壁。残り時間を上手く使われそのまま試合は終わってしまいました。

試合終了後、サポーターの前へ選手が挨拶にやってきます。僕は精一杯戦ったと思ったのですが、ガンバファンは、
「お前ら、ここどこや思てんねん。ホームやぞ、わかっとんかボケがぁ!」
「最後の方、足止まっとったやろが、なにやっとんじゃー」
と罵声を浴びせます。まだ首位にいるのに怒られる選手達。サッカー選手も楽な商売ではありません。

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2006年11月30日 (木)

イタすぎる中田英寿

サッカー元日本代表・中田英寿が「自分探しの旅」に出て数ヵ月。その動向が定期的に報道されている。

純粋にサッカー選手として世界的レベルであったのか、冷静に検証してみると、その実績自体は明らかに二流であったと言える。数字から見てみると彼の選手としてのピークは98から99年のペルージャ時代であった。セリエA35試合に出場し、10得点を挙げている。しかしその後のASローマ時代はベンチに入ることすらおぼつかない状況だった。2000年シーズンでの先発出場は五試合である。ところがASローマ優勝の瞬間、たまたまピッチに立っていたので、日本のマスコミはスーパーサブとしてチームに貢献したように報道した。実際のところ、この試合も3ー0で勝利の行方が見えた後半に途中出場したに過ぎない。その後、パルマ、ボローニャ、フィオレンティナ、ボルトンでは一度たりとも定位置を確保できていない。ドイツブンデスリーガ全盛時代のブレーメンで長年中心選手として活躍した奥寺康彦とは比べようもないレベルである。

もちろんスポーツ選手は数字だけで評価されるものではない。記録よりも記憶とでも言おうか。新庄剛志や清原和博のように実績以外のところで突出した人気を誇る選手もいる。

中田英寿に関しては、そのパフォーマンスが鼻についてならない。営業戦略の匂いが強すぎるのである。「人生とは旅である」なんて科白を残して世界行脚に乗り出したヒデであるが、一人旅をしている訳ではない。常に二三人のお付きのものがヒデお気に入りのファッションを満載したスーツケースを引きずりながらお供している。しかも旅人・中田を扱ったDVD、写真集、単行本、テレビドキュメンタリーも同時進行しているという。ゲンダイ10月28日号によると、「なるべく露出を控え、世間にヒデは今どうしているんだというムードを高めた上で、一気にメディア攻勢をかける」とのこと。彼の旅は商売そのものなのである。

10月27日予告なしにフィリピンのスラム街を訪れる。電撃訪問なのに何故か現地の新聞記者が先回りしている。ナイキのサッカーボール五十個を配布するなど、スポンサーへの配慮は欠かさない。

11月17日にはハノイ市内で安部総理と対談。翌日の毎日新聞によると「政府筋によると、中田さんは鈴木正二官房副長官と旧知の間柄。たまたま首相と同時期にベトナムに滞在していた中田さんが、事務所を通じて鈴木副長官側に表敬を申し入れたという」とあり偶発的なニュアンスを醸しだしているが事実は異なっている。私の従兄弟はJICA東南アジア課所属のベトナム駐在員である。彼は中田と首相の懇談を一週間前から聞かされており、同時に厳しい箝口令も敷かれていたと言っている。ハプニング演出は巧妙に仕組まれていたのである。話題に乏しい安部総理サイドとしてもマスコミの耳目を集めるのに好都合だったのだろう。だいたい一サッカー選手が時の権力者を表敬訪問するという発想自体、私には理解不能だ。

11月24日にはタイを訪問しムエタイを楽しんだという。25日共同通信の報道によると、「タイの経済発展はとても力強いと感じる。ある程度のリスク覚悟で投資をしている」と話したという。まるでアラブの石油王的発言だ。いったい彼のメンタリティはどうなっているんだろう。自意識が肥大しまくっているとしか思えない。

勝手に自分探しをするのは結構である。しかし、自分を見つめ直すのならば一人で旅をすべきだ。それを見え見えの商売に利用するのは元スポーツ選手としてどうなんだろう。商品価値のあるうちは世間もチヤホヤしてくれる。賞味期限の切れた時、手のひらを返したようにバッシングが始まるような気がしてならない。

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